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2009年6月 6日 (土)

2009年6月第1週のメッセージ

「ヨセフの夢」
●聖書箇所:創世記37章1-11節
「はじめに:今週は、ヤコブの11番目の子(愛妻ラケルの子)ヨセフを見ます。タイトルは「ヨセフの夢」ですが、聖書の中の夢、幻=預言について整理して考えます。
 先週見たように、ヤコブは様々な条件が重なって12人の男子を与えられました。ヤコブの愛妻ラケルからは11,12番目のヨセフとベニヤミンだけですから、もし、普通にラケルと結婚していれば、数人の息子を持つだけで、とても12部族が誕生することとならなかったと思われます。
 また、ヨセフも、主からの特別な賜物がなければ、このあとのような活躍はできなかったし、父ヤコブの寵愛を受けて高慢になることや兄たちのねたみを買うことがなければ、この後に起こるような数奇な人生もなかったでしょう。ですから、これまでと同様に、ヨセフの物語も、小説以上の面白い話であるが、同時に、よくできた物語としての価値ではなく、全てを主がなさっているという「人類への啓示」として受け取ることが大事です。

一、エジプトに売られるヨセフ
1、父ヤコブの偏愛が悲劇を生む
●ヤコブは、自分の貴重な経験がありながら、10人の兄たちのねたみを買うことを知りながら、ラケルとの子11番目のヨセフを特別に偏愛した。ヤコブは自分の経験から何も学んでいなかった。ヨセフは父の寵愛をよいことにして、すでに17歳にもなっていながら兄たちと敵対し、憎まれていた。
●ヨセフの特別扱い:「そでつきの長服」兄たちは偏愛ぶりを見てヨセフを憎み、穏やかに話すことができなかった。Ⅱサムエル記13:18では、袖付きの長服は王室の服装。
●5-7)ヨセフは夢を見てそれを兄たちに告げ、ますます憎まれる。「畑で、束ねていると、私の束が立ち上がり、兄たちの束が、私の束にお辞儀をした」
●9)「太陽と月と11の星が私を拝んでいる」父も叱ったが、兄たちはヨセフを憎む。
●11)「兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた」とは、父にはある種の謙虚さがあり、「主の御手がことをなされるだろう、主は人を選ばれる」ということを認めていたためであろう。
2、兄たちの対応
●父ヤコブが、ヨセフを使いにやり、兄たちはチャンスとみて殺そうと企む。
●ヨセフと兄たちが出あったのが「ドタンの地」17):この地は、Ⅱ列王記6:13-17(P.642)で、火の車と戦車がエリシャを取り巻いているのを若い者が見たところである。
  ヨセフと兄たちの出会い、その後の苦難は、すべて主の軍勢が見ておられるところで進められたということになる。
1)20)殺して穴に投げ込み、悪い獣が喰い殺したと言おう。
2)21)ルベン:救い出そうとして、殺してはいけないと言う。あとで、救いだすつもり「穴に投げこもう」と提案。長男としてのわずかな自覚、責任感。
3)23-24)水のない穴に投げ込んだ。そして、食事。(投げ込んで直後の食事は残忍)
4)エジプト行きの隊商通りかかる。ユダはヨセフを殺さずに売ろうと提案、兄弟同意(この時ルベンは一緒にいなかった。)イシュマエル人とミデヤン人、ほぼ同義語、意味内容が重なる単語。イシュマエル人は包括的な意味を持つ。銀20枚はこの当時の奴隷の値段
5)ルベンが後で行ってみると穴にはヨセフがいなかった。兄たちは、父のもとにヨセフが獣に殺されたと報告する。(放牧なので交代で見張りをするから誰かがいなくても自然)
6)ヨセフはエジプトで、パロの廷臣、その侍従長ポティファルに売られた。
 父ヤコブは「泣き悲しみながら、よみにいるわが子のところに下って行きたい」と言う。
(イエス様の十字架までは、聖徒たちもよみに下ったことを示すことば)
3、エジプトでのヨセフ
1)39章1-4)「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、・・・」「彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のする全てを成功させて下さるのを見た。」
「それで、ヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近のものとし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。」
2)7節以降)こののち、主人の妻は、ヨセフに目をつけ毎日誘惑する。ヨセフが拒むとある時、主人の妻はヨセフが私を誘惑したと騒ぎたて、濡れ衣を着せて罪に落す。
3)39章21-23)監獄に入れられたヨセフ、主がともにおられ、恵みを施したので、監獄長の心にかない、全ての囚人をヨセフの手にゆだねられる。(ヨセフのへりくだり!)
4)40章)献酌官と調理官が罪を犯し、同じ監獄に入れられる。ある夜、献酌官と調理官は同じ夜にそれぞれ別の夢を見る。夢の意味がわからない二人はいらいらしていたので、ヨセフが聞いてあげる。1人は元の地位に戻され、1人は吊るされるという内容で、そのとおりになる。ヨセフは献酌官に「幸せになった時には私のことを思い出して下さい。」と依頼していたが、釈放された献酌官はヨセフのことをすっかり忘れる。
5)41章)パロは不思議な夢を見る。エジプトの全ての呪法師も解きあかしが出来ない。献酌官はヨセフのことを思い出し王に紹介する。それは、7年の豊作と7年の飢饉の預言。
6)パロはヨセフを首相に任命し、全権を委ねる。(30歳)41章41-46節)その後7年の大豊作と7年の大飢饉が来る。・・・その後大きな歴史の展開が

二、聖書の「夢」=預言の真実性
1、ヨセフの夢の実現=成就
●旧約聖書の「物語」を神話のようにしか見ない人が多い。勿論、ヨセフが監獄内で見たという献酌官と調理官の夢までは確認できないが、歴史を見るときに、イスラエルの先祖がエジプトに下って行ったことと、その後奴隷になったこと、モーセの時代にカナンの地に戻ったことなどは事実として認められる。ならば、これら小さい夢の一つ一つも、積み重なってヨセフが用いられたことと信じることが可能。
●何より、その底流にあるのは、イスラエルの先祖がエジプトに「寄留者として下り、また400年後に連れ戻されるというアブラハムへの預言のことばが、こうして実現していくことの意味=遠大な救いの計画を我々に教えているということ。
*創世記15章13-16節(P.21)「寄留者となり、奴隷とされ、400年間苦しみ、4代目の者が戻ってくる」
2、夢、幻、ことばの意味と役割
●ヨセフの見た夢とその解き明かしの力は、彼が特別に用いられるために与えられた力であることが理解できる。また、彼が17歳の頃まで、それを自慢して兄たちに吹聴していたことは、彼自身が兄たちに売り飛ばされてエジプトに行くために必要なこととして与えられていた(高慢の)心だともわかる。
●遡ってみると、ヤコブがヨセフを溺愛し、兄たちの恨みを買うことになったその愚かさも、主のご計画によってなされた=主が全てをご存じで介入されている。
●しかし、だからといって、私たちが「自ら進んでかたくなになり問題を起こせば、それが主の御心をなすために役立つだろう」などと愚かに考えてはいけない。新約の書簡が何度も戒めていることであり、旧約の時代の人たちの失敗を自分の教訓とすることが大事である。ヨセフのエジプト行きがその後のイスラエル民族400年の悲劇となった。
●聖書を見るとき、「夢、幻、黙示」などは、一部の特別な預言者にのみ与えられている。
①ノアは「洪水」の幻を見せられ、それを確信して箱船を造ったに違いない。少し前のエノクも同様であったと推測できる。だから、エノクはあるときから徹底的に主の道を歩み、生きたまま天に上げられている。
②アブラハムの場合「明確なことば」が繰り返し与えられ、主ご自身も彼の前に現れている。彼への約束のことばに具体的な夢、幻が伴ったかどうかは明確ではないが、(ここで、大事なことは)アブラハムへのことばが、彼自身の中で、明確な「夢=ヴィジョン」として受け止めることができたということである。
 また、主は、空の星や海辺の砂を見せられて、あなたの子孫はこのように増えると言われ、又、二つに引き裂いた動物の列の中心を炎が通られて、それを焼き尽くす様を見せる。
③預言者としてのダビデは、詩編16,22篇などによって、彼のそばにいつも主キリストがおられ、キリストが自らの十字架の苦しみと贖いを「幻、黙示」として示されていたことがわかる。ダビデによる多くの救済の詩編は美しいことばで書かれてはいるが、単に文学的な詩心によって書いたものとは違う、黙示録的な詩である。
④ヨブ記の場合は、他とは違い、未来ではなく天地創造の始まりに遡って明確な事実を書き記しているから驚きである。地球が傾き、宇宙空間に置かれている事、水の循環、天体、星座のこと、恐竜に関する正確な記述など、進化論の間違いを証明することばによって埋め尽くされているが、この記者は、創造者からことばと創造の際の幻を見せていただいて記述した以外には考えることが出来ない。なぜなら、人間の想像を遙かに超えたものであり、一切間違いがないからである。
⑤預言者の殆ど全てが未来の黙示を明確に見せられ、それを預言書として完成させている。
イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル、ホセア、ゼカリヤなどはイスラエル民族のバビロン補囚と帰還を正確に預言し、同時に約700年後のキリストの降誕と生涯を預言、更に、終わりの時の預言までも記述し、それらがことごとく正確に成就している。
⑥新約聖書も大事な「夢、幻、黙示」を含んでいる。
主イエスご自身が自らの終わりの時の再臨を何度も語り、書簡ではパウロ(特にテサロニケの手紙)、ペテロがその真実性を教えている。又、特別丁寧に黙示を特集しているのがヨハネの黙示録は、殆ど全編が「夢、幻、黙示」であり、それを示されたヨハネが正確に記述したものと理解できる。
3、過去の全てが成就したから未来も確信できる
●今、新旧約聖書の中の夢、幻、黙示を簡潔に紹介したが、いくつか具体的に見て、それがいかに真実であり、私たちにとっても大事なものかを見たい。
1)イザヤは、イスラエルとユダが不信仰と偶像礼拝の罪により、裁かれバビロンに奴隷として連れて行かれることを約150年前から明確に示していた。創造主を排斥し、偶像を礼拝することがいかに罪深いか、主の裁きを受けるかを、私たちに示すためになさった。
2)エレミヤは、そのバビロン補囚は70年間であると示し、事実、紀元前606年から536年に補囚と帰還が行われている。又、イザヤはキリストが全人類の罪の身代わりの死を遂げることを53章他で預言している。
3)ダビデは詩編16,22篇でキリストの十字架上での苦しみと復活が人類の救いになることを預言し、千年後全てそこに書かれたとおりになっている。
4)ダニエルは、バビロン帝国の時代の人であるが、バビロン王に仕え、多くの夢を解き明かし、今後、バビロン、メド・ペルシャ、ギリシャ、ローマ帝国となり、ローマ帝国の時代にキリストが来られる預言を幻によって与えられ、更に、終末の預言までをなし、終わりの時にはヨーロッパにローマ帝国が復活したような強大な連合国の誕生=EUを預言していることから、終わりの時のキリストの再臨を確かなものと示している。

三、私たちにとっての「夢、幻」
1、聖霊によって聖書の夢=ヴィジョンを語る
●これまで見てきたとおり、聖書は完璧に記述されたことばによって、その内容が正確なことばや夢、幻によって聖書記者たちに啓示され、それが「一点一画」まで正確に書かれてきたことがわかる。
●しかし、大事なことは、旧約時代に、預言者たちに与えられてきた夢、幻とそれを理解する力が、新約時代では、私たち信徒一人一人にも与えられているということである。
それは、まず次の聖句によって保証されている。
*ヨエル2章28~29節「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。」(P.1495)
 また、このヨエルのことば(預言)は、新約時代の始まりの時に次のように起こり、宣言されている。
*使徒の働き2章16~21節「これは、預言者ヨエルによって語られた事です。『神は言われる。終わりの日に、私の霊を全ての人に注ぐ。すると、・・・』」(P.229)
2、夢、ビジョンを知ることが出来る
●ここで、ヨエルと使途の働きが言う「預言、夢を見る、幻を見る」ということは、どのような意味か?全ての信徒がいわゆる「預言者=神の人」としての力を持つと言うことか。
●「しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ」とある通り、キリストが来られて後の「終わりの時」は、それまで一部の預言者だけに与えられた「わたしの霊=聖霊」が注がれる、そして、全ての聖徒に与えられる聖霊により、父のみこころを悟り、父の思いを知ることが可能となる。主イエスがたびたび言われたことである。
●ごく一部の教会、教派では、「信徒が預言をする」ということを強調している。毎月送ってくるある教会(教派)の集会案内トラクトを見ると、必ず「個人預言あり」と書かれている。集会の中で、牧師がメッセージをし、音楽家が賛美をしているのと同時に、信徒の何人かが立ち上がって「預言をする」…これは、「予言」の意味だと思うが、聖書が完成し、誰も、一言も付け加えてはいけないとある中で、信徒の予言者が語るということには、私は大変な違和感を感じ、近づきたくないと思う。彼らは、こうして自分にヨエルの予言が実現していると言われるのだろうが、聖書以外に、「予言」が多発することには、カルト的な危険性を感じざるを得ない。
教派の中には、黙示録に関して、まるで未来小説のように詳細に断定して「必ずこうなる」と解釈する傾向があるが、聖書の未来予言は、余りにも深い読み込みと断定は危険である。もし、少しでも外れると教会員に不信感を与え、混乱をきたすからである。
●また、「預言」と言うのは、「予言」とは違い、未来のことを前もって語ると言うより、聖書の真実を理解し、それを解き明かすことが出来るという意味であるから、聖書の「夢、幻」を理解し、イメージし、自分のものとして悟るということに他ならない。歴史を考えてみるとよくわかる。旧約時代にユダヤ人が世界に出て行って福音を語ることはなかった。彼らは、一部の教師が律法を教え、それを守らせるだけであり、キリストの来臨を待つだけであった。彼ら自身がまだ完全に理解しておらず、キリストの来臨と十字架と復活、聖霊を与えられてようやく弟子として世界に出ることとなったのである。
●また、ヨハネの黙示録の場合も、宗教改革者のカルバンは一冊の講解本も出すことがなかった。しかし、現代では、多くのクリスチャンは黙示録の内容を充分理解している。また、創世記の記述内容についても、現代では多くの教会で創造論科学が理解されている。
●このように、2千年前のキリスト降誕と十字架と、その後の聖霊降誕、また、終わりの時のしるしによって、今では多くのクリスチャンが創世記から黙示録までを充分理解し、それを語る力を与えられている。特に、未来の黙示録は「夢、ヴィジョン」の世界である。これこそが、「預言、夢、幻を見る」という言葉の意味である。
3、福音のヴィジョンを知ることの大切さ
●ヨセフは、7年の豊作と7年の飢饉の夢を解き明かし、後に首相にまでなり、飢饉で食料を求めてきた兄たちに対して、王のような存在となり、青年時代に語った「兄たちの穂の束が私にひざまずく」という夢を現実とした。
 しかし、ヨセフの成功も、ヨセフが見た夢の成就も、ヨセフの力によるものではなく、全てを導かれる主のものであった。また、奴隷として兄たちに売られたヨセフが、その後用いられたのも、ヨセフが、苦難の経験からへりくだり故に与えられたものであった。
●私たちは、ヨセフのような夢の解きあかしも出来ないし、その必要もない。私たちが見る「夢、幻、ヴィジョン」、それは、聖書の示すものを、聖霊の助けによって理解し、イメージすることが出来るという力、賜物である。4千年間イスラエル人が出来なかった理解、100年前までいかなる神学者も解説できなかった黙示録の理解、また、近年まで出来なかった天地創造の理解など、私たちは終わりの時に臨んで必要な賜物を受けていることを感謝して、それをお伝えしていきたいものである。●祈り」
大寺俊紀

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