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2009年5月16日 (土)

2009年5月第3週のメッセージ

「サラとハガル」-約束の子と奴隷の子ー
●聖書箇所:創世記16章1-16節
2、待つことに信頼と信仰が試される
●16章は、創世記の中のアブラハムの記述の中でアブラハムの弱さを示している個所である。召命とカナン定住から10年、夫婦とも高齢になり、特に不妊のサラからは子孫は望めない時期に来ていた。財産の他に多くのしもべがいて、それを継ぐ後継者がほしい、その焦りがこのハガル、イシュマエル問題となった。
「後継者」という点では、私たちにも課題がある。あせって失敗しないように、祈り求めていきたい。
「約束を待てない」、ここで信仰が試され、問題を抱え込むこととなったのである。しかし、聖書を見ると、アブラハムとサラの失敗は繰り返されていない。次章19:1は99歳のアブラハムであり、24年間待った時に与えられる祝福の記述である。「過ちを繰り返さない」ここに、アブラハムの素晴らしさを見ることが出来る。
●一方、待つことが出来ず、それも繰り返して失敗した男がいる。サウル王である。
第1サムエル記13章はサウル王の失敗を教えている。(P.485)イスラエルが戦車3万、騎兵6千と多くの兵士のペリシテと敵対したとき、サウル王はサムエルが来ていけにえを捧げてくれることを待ち望んでいた。しかし、恐れからサウル王は、祭司でもないのに、自分でいけにえを捧げ、捧げ終わった時にサムエルが到着するということになった。これによってサウル王は預言者サムエルの怒りをかった。そして、「あなたの王国は立たない」と宣言される。(14)
 さらに、15章でも、サウル王はサウルのことばに従わず、敵のものを聖絶せずにおしんで自分のものとするという不従順の罪も犯すことをし、聖霊は取り去られ、悪霊が送られるということとなる。
3、既に与えられていると信じて待つ*マルコ11:24(P.90)
●サウル王は、数万の戦車や大軍を前にして恐れていた。しかも、「行く」といったサムエルが中々来ない。この時王は逃げ出したわけではなく、いけにえを捧げただけである・・・その状況を考えたら同情すべき点が多い。私たち一人一人もその弱さを考えれば、その場では同じことをしていたであろう。しかし、聖書は、このような失敗者のことを教訓として、いかなる困難に際しても信じて待つことを私たちに教えて下さっている。
*「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」マルコ11章24節(P.90)
●最後に、ガラテヤ書4章21-31節からアブラハムの約束の子イサクと、約束によらない子イシュマエルの違いについて見たい。
●ガラテヤ書の主題は律法やその中で特に「割礼」について、それは、約束によるもの、恵みではなく、肉によるもの、人間的な努力によるものとして、その価値の低さを教えている。そして、その例としてイサクとイシュマエルが取り上げられている。
 イサクは、約束による子=御霊によって生まれたものであり、イシュマエルは肉(人間的な思い、努力)によって生まれていて、肉による子は「奴隷の子」であり、約束による子は自由の子、天のエルサレムにつながる子=相続人である。4:30にある通り、奴隷の女と子は相続人にはなれない。ガラテヤ書ではイシュマエルやハガルへの別な約束は書かれていないが、ここで強調されていることは約束の確かさと素晴らしさである。

●私たちは、アブラハムの時代と違い、約束を確かなものとして多くの証言を得ている。キリストの贖いからすでに2000年経過している。確かなものとして確立された約束を受けている。喜び、讃えて歩もうではないか。」
大寺俊紀

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