2009年5月第5週のメッセージ
●聖書箇所:創世記30章22-24節(P.52)
「ヤコブとラケル
はじめに:先週は、一度創世記を離れてルカ伝を話しましたが、今週は再び創世記で、ヤコブを話します。次週はヨセフです。この5回で、創世記の主要人物が全て登場します。
先週の土曜に私の兄が亡くなりました。兄弟というものは、一番葛藤があるものでして、年齢順にスムースにことが運ばないものです。
先週の二日間の葬儀に、兄の高校時代の友人二人(AさんとBさん)も参列して下さっていまして、色々話すことがありました。Bさんは、二男で、もう一人のAさんは長男でした。Bさんが言うのには、「長男は勝手なもので、長男風を吹かして偉そうに言うくせに、意外に親の面倒を見なくて、自分の道に進む者が多い」とのことで、私の兄も、もう一人の同級生のAさんも、長男なのに親の世話はせず、遠くに飛びだしたままだったと話していました。(Aさんは親が鉄鋼関係の会社社長で、息子に後継を期待して東京の大学に行かせたのに、会社員になり、親の会社を継がなかったらしい。)Bさんは同じ次男なので私に共感を抱き、「君は次男なのに親の世話をして偉い」と盛んに褒めていました。(わたしは、自分を偉いとは思っていませんが)
聖書にも、兄弟の葛藤が沢山登場します。代表的なのがこのヤコブとエサウでしょう。二男の私が、正直少し嬉しいのが、長男必ずしも信仰が厚く後継者になるとは限らない、ルカ13章30節にある通り、「あとの者が先になり、先の者が後になる」ということです。
一、ヤコブとエサウ
1、「兄が弟に仕える」という預言
●聖書を見ると、主のご計画にある者には、「不妊」ということが多い。まず、アブラハムの妻サラは89歳まで不妊であり、妻90歳、夫アブラハム100歳でイサクが誕生している。次に、イサクの愛妻リベカも不妊であった。主に祈願してようやく与えられたのがエサウとヤコブである。(創世記25章21節P.41)さらに、ヤコブの愛妻ラケルも不妊であった。他にも、ザカリヤの妻エリサベツが年老いて妊娠して、バプテスマのヨハが誕生している。(ルカ1章7節以降)又、預言者サムエル誕生の場合も、不妊の女だったハンナが、Ⅰサムエル記1章11節にあるとおり、「このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。」と祈って与えられている。つまり、主のご計画に或る者=聖別された者には特殊な計画が示されるから、祈り求め、ハンナのように「主に捧げる」という思いが必要という場合があることを覚えたい。
●母リベカが妊娠した時に、子どもたちが彼女の腹の中でぶつかり合うようになり、心配した母は主のみこころを求めに行った。すると23節のように「二つの国民があなたから分かれ出る。兄が弟に仕える」と示される。兄は、全身赤くて毛衣にようでエサウ(赤)と名付けられ、弟は、兄の足をつかんで出てきたのでヤコブ(つかむ)と名づけられた。
●兄エサウは猟が得意で野性的、弟ヤコブは天幕に住む穏やかな人となった。ある時、ヤコブが煮物を煮ているとき、兄エサウが飢え疲れて野から帰ってきて、その煮物を強く求めた。それが赤い豆だったので、彼にはエドム(赤)という名が付き、エドム人の祖となった。この時、エサウは決定的な失敗をした。ヤコブの「長子の権利を売ってくれ」という言葉に乗って、たった一杯の煮物と引き換えにそれを売ったのである。34節にはエサウはこのとき「長子の権利を軽蔑した」と書かれている。(当時の社会では、長男の権利は親から全部を譲られるというとても大きいものだった)ヤコブがこの時にこの話を持ち出したのは、長子の権利が与えられないという、次男故の空しさを感じていたことや、エサウの態度に、長子としてふさわしくないと不満を持っていたと思える。
2、父イサクのあいまいさと母リベカの熱心さ
●母親のリベカも兄エサウに不満を抱いていた。また、母は誕生前の主の預言を忘れることなく、弟ヤコブを愛し、弟に祝福が来るようにはどうすればよいかと常に考えていた。しかし、父イサクは自身の貴重な生い立ちや父の信仰にもかかわらず、約束の民の父としての自覚に掛ける点があり、兄エサウが長子としてふさわしくないところがあるにもかかわらず、長子の権利、祝福に対して毅然とした態度を取らず、猟師(狩人)としてのエサウの腕とその食事に惹かれていた。
●父イサクのいい加減な態度は母リベカの焦りを誘った。父イサクは年老いて子どもへの祝福をするに当たり、エサウに狩りをしておいしい料理をして食べさせてほしいと依頼し、その声をリベカが聞いた。(27章1-5)その結果、母リベカは夫イサクを騙し、弟のヤコブに祝福がいくように計略を図った。ヤコブは騙すことに迷いがあったが母に従う。
●父イサクの曖昧さ。約束の民の父としての任務を軽んじていたことは罪深い。直前の26章34-35節を見ると兄エサウは約束の民でないヘテ人の娘を、それも同時に二人妻にしている。更に、その後のことであるが、28章8~9節では、カナンの娘たちを妻にしてことが父イサクの気に入らないことを知ると、更に、イシュマエルのところへ行き、その娘を妻にしている。エサウは罪を悔いるどころか、逆に罪を増し加えて一層不信仰の道に走る。
イサクは、自分の父アブラハムが、どのようにして約束の民の中からリベカを妻に迎えたかを聞いていたはずであり、更に、ヘテ人もイシュマエルの娘も約束の民でないことを知っていたはずである。兄エサウは約束と言うことを一切重んじないこの世の楽しみ優先の俗悪な人間であった。ヘブル書12章15-16節では次のように書かれている。
「そのためには、あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように、又、不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。」(P.441)
3、重荷を負ったヤコブの苦悩の人生
●長男のエサウが長子としてふさわしくないことを知りながら、彼の猟(狩)による食事に惹かれて兄エサウに祝福を与えると約束した父イサクの行動は、次男のヤコブに重荷を背負わせることとなった。兄エサウに対して、「長子としてふさわしくないから 祝福をしない」と明言していればこんな事にならなかったからである。
●母リベカとともに父を騙して祝福を受けたヤコブは、兄の恨みを買うこととなり、命も狙われる。母リベカはエサウの復讐心知って、自分の兄ハランにいるラバンのところにヤコブを逃がすことにする。父イサクはようやく自らの愚かさに気付き、28章1節で、再びヤコブを祝福して送り出すことに同意し、カナンの地の娘ではなく、ハランにいる妻リベカの兄ラバンの娘から妻を迎えるようにと薦めて送り出した。
●兄に命を狙われ、父母の元を立つ事になったヤコブは今後のことで不安一杯になる。そして、荒野の旅が続き、あるところに来た際に、そのところの石を枕にして野宿する。しかし、不安一杯のヤコブに対して素晴らしい約束の啓示が与えられた。
28章12~15節にあるとおり、主イエスがヤコブの傍らに立ち、「わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」と語り、天の門が開けて、一つのはしごが天から地に向けて立てられ、神の御使いたちが、そのはしごを上り下りしているのであった。
●わたしがクリスチャンになり、聖書をテーマにする絵を多く描くようになった当初、一番沢山描いたのはヤコブの絵であった。28章12節のベテル、更に、32章24~30節のペヌエルの作品は今も階段のところに二点飾ってある。
ヤコブの絵を沢山描いた最大の理由は、自分がヤコブに似ていることと、ヤコブのような祝福を受けたいと願ったためである。「自分がヤコブに似ている」と絵を前に話したときに、それを聞いたある方が、「大寺さんはヤコブのような罪深い男が好きですか!」とあきれていたが、わたしはヤコブの罪が好きというのではなく、主に祝福を求め続けた姿勢が好きであり、又、自分はアブラハムやモーセの様な偉大な者ではなくヤコブの様な者だと思っていたからである。
二、ラケルとレアの女の争い
1、騙したから、自分も騙される
●ヤコブが叔父ラバンのもとに到着した際、ラバンの娘ラケルが羊をつれて現れる。まるで、イサクの結婚のためにアブラハムが送った使者とリベカとの再現場面を見るようである。ヤコブはラケルを一目見て気に入り、自分の逃避行の旅が大成功になったと喜んだに違いない。その後の叔父ラバンとの話し合いで、叔父の元で働くことになり、ヤコブは報酬を求めず、ラケルとの結婚だけを求める。
●約束の7年はあっという間に過ぎた。しかし、父を騙して兄の祝福を奪ったヤコブは、今度は自分が叔父ラバンから騙されることとなる。父イサクが何の苦労もなく妻リベカを与えられたことを思うと、ヤコブは大変な苦労をしたものである。7年プラス7年、計14年も働いて得たのがラケルであったが、皮肉にも、騙されて与えられた姉のレアには子どもがどんどん生まれ、レアが与える女奴隷からも子どもが生まれる。しかし、最も愛しているラケルからは生まれない。最初に不妊のことに少し触れたが、この「ラケルの不妊」が驚くべき主のご計画であった。
2、「女の争い」が12人の子どもを
●29章31節からレアとラケルの「競争」が始まる。まず、姉のレアであるが、レアが嫌われていることを主がご覧になって、レアにみごもらせる。最初の子はルベン、更にシメオン。レビ、ユダが与えられる。そして一人一人にはレアの思いによって名前がつけられる。
●ラケルには子どもが生まれない。焦ったラケルは丁度アブラハムの妻サラと同じように自分の女奴隷ビルハを与え、生まれた男の子にダンと名付ける。次に与えられた子はナフタリで、これは、「わたしは姉と死に物狂いの争いをして、ついに勝った」という事から命名されている。
●7、8番目の男子は、レアが女奴隷ジルパを与えて産ませた子で、ガド、アシュルである。更に、このあと、9,10番目の男子で、レアの産んだ子として5番目、6番目の子どもが与えられる。イッサカルとゼブルンである。女の子ヂィナもできる。
●11番目は30章22節からのラケルの子で、「神は彼女の願いを聞き入れて、その胎を開かれた」の意味でヨセフである。彼は、後に「年寄り子」と言われている。待ちに待った愛妻ラケルの子、そして年寄り子だったからヤコブは特に可愛がった。・・・このことが、又次の大変な展開をもたらすこととなる。(ヨセフは兄たちに嫌われ、エジプトに売り飛ばされる事となる」最後12番目の男子はヨセフの弟ベニヤミンで、彼もラケルから生まれているが、彼が生まれてすぐにラケルは死亡している。(35章16-19節)
三、全てをご存じの主のご計画と介入
1、父イサクを曖昧にさせた主の御心
●ここで、「もし・・・たら」という仮定話をいくつか考えてみたい。
①もし、父イサクが、最初からエサウを否定し、ヤコブを選んでいたら、後継者問題はスムースに運んだか、あるいは、兄エサウは弟ヤコブを殺害していたかもしれないが、少なくとも、ヤコブは罪を犯すことはなかった。
②もし、母リベカが強引に進めていなかったら、エサウに祝福が行き、ヤコブへの祝福はなく、後のヤコブの12子誕生はなかった。
③もし、叔父のラバンがヤコブを騙し、姉も押しつけることがなかったら、12子は誕生しなかったろう。
このほか、「もし・・たら」と言うことはいろいろ考えられるが、結局、レアとラケルの二人の争いがあったからこそ12人の男子が誕生し。しかも、ヨセフが年寄り子で、ラケルとの子であったからこそヤコブが溺愛し、それが後日に問題を起こすとつながっている。
2、ヤコブに学ぶこと
●「ヤコブは罪深い男だ」と言われる方がいた。確かに30章後半(25-43)のずる賢さは私にはできないが、私は、次男故の彼の苦悩に共感を覚える。仮に、兄エサウが信仰深く、祝福が自分に及ばないことが分かれば、彼の人生は大きく変わっていただろう。しかし、兄の不信仰によって自分に重荷がかかってきた。また、兄に関係なく、自分は主の祝福がほしいという強い願望があった。その熱い思いが、後に「イスラエル」という名誉ある名を受けた理由であり、イスラエル12部族を誕生させたのだから、彼の熱心は貴重であり、学ぶべきである。
3、一貫する主の御心
●イサクのエサウへのあいまいな態度、エサウの不信仰、リベカの策略、ラケルの不妊、姉レアの対抗意識、ラバンがヤコブをだましたこと、…これらすべてがイスラエル12部族誕生へのご計画であった。さらに、12人の子どもたちは次の出エジプト記へと続く。主のご計画は、こうして一人一人の思いを超えて、ふさわしい民を選び、訓練し、導かれるのである。
●私たち一人一人も、このような主のご計画の中で見いだされ、選ばれ、導かれてきた。
エペソ1章4節には、「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」とある。
私たちは聖書に名前が載るほどの者ではなく、小さい者に過ぎないが、こうして、約束の民として選び導かれていることを思えば、苦しみ、悲しみも、そして、伴侶や家族も、ご計画の中で与えられたものだと理解して感謝できる。だから、これからも、ヤコブのように、祝福を受けたいという熱い思いを持ちながら歩もうではないか。
●祈り」大寺俊紀
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