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2009年2月21日 (土)

2009年2月第4週のメッセージ

人の価値観、聖書の価値観
●聖書朗読箇所:ルカ11:1~4

「詩人テニスンは、「自然?それは血に染まった牙と爪だ。」と言いました。確かに、自然界は弱肉強食、強いものが生き残る世界です。ですから、進化論は現在の状況が世界の始まりから脈々と続いてきた結果、おびただしい数の死を通してより強いものが生き残るという力が原動力となって進化したと言います。
現代社会は進化論がパラダイム(すべての思考の土台)となっているのです。ですから、人の価値観は、強くならなければ生き残れないという感覚が支配しています。世界経済においても、企業も、あるいは個人も、競争力がなければ、淘汰されてしまう。自分で自分の存在価値(アイデンティティ)を造り出し、競争して勝ち組にならなければならない。これが、人が持っている価値観というものでしょう。
しかし、聖書はもともとこのような世界ではなかったと言います。最初、神(創造主)によって創られた世界は死がなかったが、最初の人アダムが創造主に反逆して離れた結果、死ぬ世界、弱肉強食、強者生存の世界になったというのです。
ところが、このようになってしまった世界に、まったく逆の価値観がひそかに持ち込まれました。なんとこの天地万物の創造者がこの堕落した世界に下ってこられ、身近にかかわった一人一人の必要を満たされ、さらに下ってこういう世界になった原因である人間の罪をあの十字架で処理されたのです。弱肉強食ではなく、弱者である私たちの人間のために絶対強者が下降の一途をたどられ、十字架でご自身を捨てられたのです。その方が私たちのアイデンティティを保っておられ、そして強者生存弱者衰退ではなく、全く逆の価値観を求めることを教えてくださいました。
縦の祈り(主の祈り):私たちのアイデンティティは主にある。
横の祈り(社会の祈り):身近な人の必要が見えたら主に求めよ。
(ルカ11:1~4)
私たちは、弱肉強食の世界で疲れてしまいますが、逆の価値観の世界で重荷をおろすことができる、そういう所が与えられているのです。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたし(イエス・キリスト)のところへ来なさい。私があなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)


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記)安井 亨 (バイブル&クリエーション)

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2009年2月13日 (金)

2009年2月第3週のメッセージ

「畑に隠された宝」
●聖書箇所:マタイ伝13章44-50節
●今週は外部講師ですので、先週の資料から掲載します。
2)探さない人、求めない=否定する人
●あるポーランド映画;主演男性、大学教授、全てを計算して答えを出すのが楽しみで自慢。妻とは離婚。息子を育てる。息子は、ある日死んだ犬を見て死後への関心を持ち聞くが、父は死後(魂)を否定する。父の姉は子どもに教会を勧める。寒い冬、父は湖の氷の厚さを気温の推移で計算する。計算で大丈夫だからと子どもに保証し、スケート靴を与える。・・・大切なもの、犠牲を払って初めて、創造主を認めてこなかったことに気づかされる。
●ある料理研究家の男性:(テレビ番組で)子ども時代は両親に連れられ教会に行っていた。しかし、有名人になりテレビ出演で多忙。教会に行くことがなくなっていた。・・・子どもバイク盗む事件・・・
親から受けた教育(教会へ)を軽く見ていた。(祖父母の祈りがあった!)
●気づかせられる人は幸い。=祈られている人は幸い。
 先週の記念会のお二人にしても同様。
 皆さんの場合も:
○ある人は、母親の死などが契機で「求める」ことが出来た。
 ○ある方は、誰かの勧め(背後に祈り)があった。
 ○ある方は、クリスチャンの息子、娘の祈りなどがあり、それが聞かれた。
 ○ある男性は(労働運動に熱心な党員だった)、(娘さんが祈っていたが)いくら勧めても教会に来ることはなかった。50(60?)歳代で、病となり、目も見えなくなった。入院して初めて牧師がお見舞いに・・・徐々に心が開かれ、祈りの時は手を合わせるように、そして死の直前に・・・
 ○ある男性は,妻や子どもの信仰を良いものと思いながらも、礼拝に出席することがなく,本人曰く「逃げていた」が、あるとき「重い目の病気」を煩った。本人は目薬の会社の社員だったから特別驚いたらしい。すぐに礼拝に参加し,信じ、洗礼も受けられた。今も熱心な信仰生活を送っている。失明することなく、目も守られている。」
大寺俊紀

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2009年2月 7日 (土)

2009年2月第2週のメッセージ

「畑に隠された宝」
●聖書箇所:マタイ13章44-49節
2)はっきりと宝を知ること=キリストとの出会い
●以上を振り返って知ることが出来るのは,「キリストにこそ宝があること」、また、常に主は「聖霊によって」導き、真理からそれないように,正しく歩むようにされた。罪ある人間に頼るのでなく、「主が全てをあらかじめ備えておられた」と言うことを経験し続けたと言うこと。
○信徒ひとりひとりについても同じことが言えよう。
○会堂については、もっと明確に恵みが与えられたと言えよう。
●畑の宝の次に「良い真珠」のことが書かれている。数日前に、真珠のことがラジオで言われていたが、真珠は最初、良い真珠になるかどうか全くわからないそうで、それを見分ける技術がいるそうである。
(日本人が特に優れているとか)これは良いと見極めたものを薬品で磨き、用途を見極め、さらに磨き続けて真珠の輝きを出していくという。
●「畑の宝」も同様である。天に宝を積むことと同様、畑の宝は気づく人と気づかない人がいる。気づかない人は「見ていても見えていない」「聞いていても、聞こえていない」

●大事なことは、一人一人が,自分の経験だけではなく,教会が経験していること,多くのクリスチャンが経験していることを「自分のものとして」喜び、感謝し、「キリストこそ全て」「キリストの救いこそが宝」だということをもっと強く理解することではないか。」大寺俊紀

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