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2008年11月29日 (土)

2008年11月第5週のメッセージ

「真実なる方」
●聖書箇所:1ヨハネ1章5-10節
三、真実は「愛」
1)「義」のもう一つの面は「愛、赦し」
●主のみこころ:〈赦しの愛の大きさ〉
*エレミヤ8:4-7.13、9:1(P.1255):民への主からの切々たる訴え、呼びかけのことば!
*エレミヤ31:34B 「-主の御告げ-わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思いださないからだ。」
*ルカ23:34 ~十字架上で祈られた~「父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは、何をしているか自分でわからないのです。」
●キリスト再臨後のとき、ノアの洪水の日と同じということは・・・
○箱舟に乗った8人は救われた。主の警告を信じて行動した者は信仰によって救われた。
○地上への裁きの前に「掲挙」がある。
*Ⅰコリント15:49.52「・・・ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。」
*1テサロニケ4:16-17「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。…」
○クリスチャンは、死者がまず復活し、次に「わたしたちが」一挙に天に引き上げられる!
 その後のことは、黙示録が説明している。(地上への裁きは主キリストがなされる。私たちも付き従う)
*1テサロニケ4:18「こういうわけですから、このことばをもって互いに慰めあいなさい。」
●*ルカ23:34、十字架上で祈られた「父よ。彼らをお赦し下さい。」はイエス様の十字架の死が、私たちの罪への身代りであったことを示している。これこそ、救いの真実を教えている。
●ヨハネも、1:9で、「神は真実で正しい方ですから・・」に続いて、2章1,2節で、イエス様が私たちのために「弁護」して下さること、イエス様が私たちの罪の「なだめの供え物」となられたことを教えている。ここにこそ、真実の救いがある。」大寺俊紀

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2008年11月21日 (金)

2008年11月第4週のメッセージ

「その足跡に従う」
●聖書箇所ペテロ第二の手紙2章19-25節
三, そのために召された*21)
●罪を犯して苦しむな:人には、いろいろな苦しみや悩み、寂しさなどがある。耐えるのがつらいことも多い。また、誤解され、不当に攻撃を受けて苦しむこともあろう。しかし、「罪を犯して苦しむことは、それよりもはるかに苦しい。そして、それに耐えしのんでも何も価値もない。20)しかし、耐えしのび、善を行っていて苦しみを受けるのなら、価値があり主に喜ばれる。20節)
●「従うべき本当の模範」21-24)
 ここで、最初の話を思い出してほしい。45度斜めの角度から聖書を読み、聞く方は、―自分の正しさや行いにキリストを加える―と言う信仰であると書きました。その場合、「キリストに従う」ということは、次のような解釈、前提に立っているということ。
1) キリストは多くの天からの使いのうちの1人。
2) キリストは、釈迦やほかの指導者たち同様に、人類に道徳を教え、人を愛すること、助けることなどを教えた。そして率先して行った。
3) キリストは、熱心のあまり、一部に反発を買って、弟子に裏切られて十字架上で殺された。死んでから、いわゆる「神」の一人になった。…というもの。
 だから、キリストに従うということは、彼の熱心な「愛」の慈善活動などを模範として従うという意味にすぎない。
●ペテロは何と言っているか?(聖書は)
「キリストは罪を犯したたことがなく、何の偽りもなかったが」(22)、「ののしられても、ののしりかえさず」「苦しめられても、おどすことはせず」23)主に任せられた。
「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。」24)
 裏切られたのでも、失敗したのでもなく、自ら十字架にかかり死なれた。私たち人類の罪の赦しのために!私たちの罪が赦され、罪から離れるため、義のために生きるため!
●私たちが従うのは、この忍耐、愛、信仰、主にゆだねること、自らを捧げること・・・」
大寺俊紀

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2008年11月15日 (土)

2008年11月第3週のメッセージ

「次に来る都」
●聖書箇所:ヘブル所13章10-17節
一, 罪の赦しのための「キリストの血潮」*9章7-22)
434ページの9章7節からを読みますと、旧約時代の「幕屋」や「いけにえ」のことが、キリストの救いの「比喩」であり「予型」であると書かれています。
つまり、旧約時代の「幕屋」や「神殿」では、手前に第一の幕屋(聖所)があり、そこには祭司たちがいつでも血やいけにえを持って行き捧げることができました。次に、第二の幕屋(至聖所)には、年に一度だけ、大祭司だけが血をもって民の贖いのために入ることができました。
しかし、このいけにえは、毎年続けられましたから、これは、「比喩、予型」でした。もし、そのいけにえによって完全に赦しが成立しているのなら彼らは捧げものを止めたはずです。しかし、キリストは、ご自身の命(血)をもって捧げましたから、12節にある通り「永遠の贖い=救い」が完成したのです。事実、紀元33年の十字架以来、イスラエルでは、一度もいけにえが捧げられていません。(神殿そのものが破壊されたままです)
キリストは完全ないけにえとしてご自身を捧げられ、完全な幕屋を通り、「まことの聖所」(天)に入り完全な罪の赦しをなされたのです。*11-12)」大寺俊紀

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2008年11月 8日 (土)

2008年11月9日のメッセージ

「あなた方を遣わします」
●11月9日は外部講師ですので、2日のメッセージの冒頭部分を掲載します。
一, 生きておられる主
○ 聖書とキリストを信じる上で最も大事なことは、私たちが信じる方は「二千年前に来られ、教えられ、死んだ方」というのではない!

○ 主を知らない殆どの方は、「人間は死ねば終わり」、或いは、「死後は死者の世界に行く」の何れかとしか考えない。

○ キリストが死刑になった最大の理由:①「自分を神の子とした」19:7)「わたしと父とは一つです」10:30)(P.199)②「神殿を三日で建て直します」と言われたこと(復活のこと)

○ 「生きておられる主」この絶対の信仰が最も必要。そして、それを経験すること。
先週、お話しした通り、主を信じ、祈り、みことばを求めるものには、主のわざがなされる。多くの兄弟姉妹からの心からの祈りも捧げられる。そして、生きたみことばが与えられる。・・・これは、聖書のことばは生きている、主は生きている、全てを見ておられる・・・これ以外の何でもない。

○ 主を信じない人、信じたことがあっても、「礼拝」を守ることができない人、従えない人~全てを見ておられる主を恐れていない。「罪が残る」ことになる。裁きを恐れなければならない。「恵み」を受けることが可能だろうか?

○ エレミヤ書:主は全てを見ておられることをエレミヤを通して警告されている。
イスラエルやユダの罪(偶像礼拝の罪)ことごとく見ておられ、裁かれている。
712年:北イスラエルは滅亡、606-536年:南ユダはバビロン補囚
彼らは、「地獄のような苦しみ」を受けて、ようやく赦されている。
*エレミヤ5章12,14,15,19節(P.1248)」
大寺俊紀

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2008年11月 1日 (土)

あなたを遣わします

ヨハネ20章19-23節
「四、 罪を赦せ
○ 弟子となる者の条件:
1)互いに愛し合うこと:14章の34節には「新しい戒め」ということが教えられている。それは「互いに愛し合うこと」
*13:34-35)「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」
17:23)では、「一つになることが、キリストに愛されたしるし」だと教えられている。

2)赦すこと:ヨハネ20:22で、「聖霊を受けなさい」のことばに続いて、「罪の赦し」が命じられている。
○マタイ5章の「山上の垂訓」のあとも、最初に、「罪の赦し」が教えられている。「兄弟に対して腹を立ててはならない」「仲直りしなさい」
○更に、マタイ6章の「主の祈り」の直後にも、「もし人の罪を赦すなら、あなた方の天の父もあなた方を赦して下さいます。」とある。(P.9)そして、「しかし、人を赦さないなら、天の父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」とある。

○多くの精神的な悩み、病気:「怒り、赦さないこと」が原因となる。「離婚、多すぎる転職」も、赦せないことが原因となることが多い。全てに不安定になる。」大寺俊紀

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